pūjanā

 

 

pūjanā

 

窓から見える景色は少し青ばんでいた。

新聞配達のバイクの音、小鳥の囀り。

日に日に朝は早まる。

夏の訪れのその背後に隠れているのは誰だろう。

少しのお酒で微睡む脳。

煙草の煙の行方を追う。

吹き込む風はまだ肌寒い。

意識的な溜息の連続。

生活は途絶え途絶え。

 

思い出すのは遠い問い。

『あなたの心は満ち足りましたか』

 

 

 

「天使になりたい」

「天職かもね」

 

あなたが良く口にしたその夢を、

私は微笑ましく思っていた。

否定するでもなく、

応援するでもなく、

素敵な夢だと思った。

それは優しさではなく、

何気ない会話の一部に過ぎなかった。

あなたは天使ではなく、

少し捻くれただけの、

ひとりの人間だった。

当然の事。

 

「天使になれなかった」

「今のままで良いのよ」

 

その言葉に多少なりとも後悔の念を抱いた。

あの時こうしていれば、

なんてそんなことは今になってこそ言える、

それはわかっているけれど。

後悔することで、

少しでも自分自身の心を癒そうとしていた。

 

「天使になりたかった」

「そっか」

 

私が天使になっていれば

世界は全てうまく回っていただろうし、

私が天使になっていれば

うまく回っている世界を

何時でも止めることだってできた。

私は天使じゃないから何もできない。

「おやすみ」も「おはよう」も

うまく言えなくなってしまった。

「良い夢みなよ」とひとこと添えて、

素敵な「おやすみ」を言えていたのに。

私は神様じゃないし、

私は仏様じゃないし、

あなたのいう天使にもなれなかった。

ただこうしてあなたと同じように、

ひとりの人間として生活するしかない。

 

それらしい言葉並べて取り繕って。

自己の内面におけるあなたとの対峙、

最もらしい。

馬鹿らしい。

自分を守る為、全部自分の為だった。

私は私が嫌悪感を抱く対象と何ら違いはない。

何もかもが芸術思考の若者のようで嫌だった。

何か深い意味があるかのような写真を撮り、

自らの過去を想うかのような言葉を添えて、

「これが私の記録です、これが私の作品です。」

疑問に思う。

どんな写真を撮っても、

どんな言葉を紡いでも、

写真を撮るという行為、

言葉を紡ぐという行為、

そのような行為があったに過ぎない。

そこに意味や内容は無く、

ましてや何かを変える力なんてある訳がない。

それでも何かが変わった、

救われたと言うのなら、

初めからあなたは強かったのでしょう。

 

 

 

染まる音に耳を傾ける。

外はもう生活で溢れている。

汗の匂いが染み付いたシーツ。

天井は遠い。

射し込む朝日。

過去を反芻した先の安堵感。

夢は夢。

夏の訪れの背後に潜む影はとても優しそうだ。

あなたは生活と再会できたのだから、

私も生活を再開しよう。

もう大丈夫。

きっと全部、受け入れてくれる。

 

そうして作った答え。

『完璧に空っぽで、私の心は満ち足りました』

 

 

 

 

 

 

 

 

sakai yui(micro空洞)× bombyx mori(イノウエエミリとケイウチダ)共同展

"(we can't)change the world "

 

 

 

20150530-20150610

cafe Anamune

 

sakai yui_hollow and remains 02

イノウエエミリ_境界

ケイウチダ_pūjanā

saṃsāra

 

 

saṃsāra

 

「君はあれだよ、へらへらしてちゃだめだよ。」

「へらへらして誤魔化すのが今できる精一杯の努力なの。」

「なんで誤魔化すの、ずるい。」

また笑って誤魔化して、

「でも今日は本当に嬉しかった。」

「なによそれ、意味わかんない。」


いつものように改札前。

姿が見えなくなるまで見送って。

そんな茶番劇。

何度目かの“いつも”の始まり。

相変わらず人付き合いが苦手で、

距離感が、距離感が、

と言って逃げ道を作ってしまう癖。

幸せは腐臭を放っていて近寄り難いだとか適当なこと。

そのひとことひとことすべてが愛しいし、

そのひとつひとつの仕草すべてが好きだと思う。

それは“いつも”のこと。

 

「蝉の鳴き声もあまり聞こえなくなったね」だとか、

「日が沈むのもはやくなったね」だとか、

そういう会話を、

他愛のない会話をずっとしていたかっただけで、

それ以外、そこには何も要らなかった。

きっと“いつも”そう。

ずっと一緒に居たいなんて贅沢なことは隠して。

昨日が最後だったのかもしれないし、

今日が最後なのかもしれないし、

明日が最後になるかもしれないし、

もしかすると最後なんて来ないのかもしれない。


一緒にコーヒー飲んで、

一緒に映画みて、

一緒にお寿司食べて、

一緒にカラオケ行って、

一緒に歩いて、

一緒に会話して、

一緒に

再会ではなく、

少しでも長くその一日を続けるために、

一緒に夜は越さないで。

“いつも”が始まるたびに思う。

だから私は夜になると、

家に帰って晩御飯を食べる。

リビングには家族の姿。

テレビに映し出されるバラエティ番組。

「おやすみ」

母が、父が、兄が、それぞれの寝室に向かう。

ひとつ、またひとつと増える室外機の音。

一日、また一日と日々を刻み続ける家庭の形。

変哲もない、あるべき形。

そこには夢も理想も“いつも”の姿もなく。

 


家族が寝静まった頃、

私もようやく自室に向かう。

「もしもし」

“いつも”と同じ感覚に、思わず笑みが溢れる。

「なに笑ってんの。」

「なんもないよ。」

「なんもないことないでしょ。」

「あ、今度一緒にシャボン玉飛ばそう。」

「そうやってまた適当に話すり替える。」


イヤホン越しに聞こえる寝息を聞きながら、

これまでの“いつも”のことを考えたりする。

これからの“いつも”のことを考えたりする。

こんな“いつも”の会話も何度目?

こんな“いつも”を繰り返して何になる?

ただね、私がこうして考えてる間は、

起きていることを君に気付かれないように

少し深く呼吸をして寝息のように装っていて、

イヤホン越しに居る君も同じように、

起きていることを私に気付かれないように

少し深く呼吸をして寝息のように装っていたとしても、

“いつも”なんてないこれまでのことを考えて、

“いつも”なんてないこれからのことを考えて、

“いつも”にとらわれずに毎日を過ごせているのなら、

そんな素敵なことないなって思う。

そうしてお互い眠りについて、そうして朝になったら、

「おはよう」

ぎこちなく声をかける。

昨日も今日もなく、

あるのはいつも、“いつも”の姿。

私は君に言う。

「蝉の鳴き声もあまり聞こえなくなったね。」

「この前ツクツクボウシの鳴き声聞いたよ。」

「日が沈むのもはやくなったね。」

「ね、仕事帰りに夕焼け見れなくなっちゃった。」

他愛のない“いつも”の会話だった。

 

リビングに降りると家族の姿。

「おはよう」

すんなりと声に出る。

昨日とは違う今日の始まり。

別に何も変わりはしないけど。

 

母は私に言う。

「蝉の鳴き声もあまり聞こえなくなったね。」

「この前ツクツクボウシの鳴き声聞いた。」

「日が沈むのもはやくなったね。」

「うん、仕事帰りに夕焼け見れなくなった。」

夏の終わりを報せるような、今日の会話だった。

 

タクシーなんかいらないから、

痛みも和らいだ夏の終わりの日差しの中、

緩く長い坂道のぼりきって、

少し汗ばんだ額拭って、

ああこれでおしまいって、

ふたりシャボン玉飛ばして、

そんな“いつも”があと何回?

 

 

 

 

 

 

sakai yui(micro空洞)× bombyx mori(イノウエエミリとケイウチダ)共同展

"(we can't)change the world 02 "

 

 

20150904-20150906

designfesta gallery 1C

 

sakai yui_serch for voids 空隙のサーチ 演習2

イノウエエミリ_room405

ケイウチダ_saṃsāra